先日、ジェイソン・ブラウン選手がカミングアウトをしたと話題になっていた。
多くの人が「知ってたよ」「むしろ、そうじゃなかったら逆に驚くわ」などと呟いていた。
フィギュアスケーターではその他、ケイトリン・ウィーバーさん(カナダ代表の女性アイスダンサー)と、ポール・ポワリエさん(カナダ代表の男性アイスダンサー)も同じ日にカミングアウトをしたそうである。
今月は何やら“Pride Month”というLGBTQ+の権利について啓発を促すイベントが開催される月らしい。
フィギュアファンの多くはジェンダーの多様性に(表面的には)理解があるように私は感じている。
昔からフィギュアスケーターにはゲイであることを公表している男性が多いし、そういうスケーターの美意識の高い滑りに魅力を感じる人こそが深いファンになる傾向があるからかもしれない。
そして「わざわざカミングアウトをしなくても、全ての人がそういうことを普通に受け入れられる社会になるといいのに」というコメントもたくさん目にした。
一方、ネットの闇の中には、髙橋大輔がホテルで男性とデートをしていたという目撃ツイートがかつてあったらしく、それを揶揄するような書き込みを見たことがある。(髙橋が男性とデートしていたことが事実かどうかはわからない)
また、羽生結弦のコーチや振付師や尊敬するジョニー・ウィアーがゲイだから、もしかしたら羽生も目覚めるんじゃないか、あるいはそうなんじゃないか、などとアンチが暗闇で騒いでいるのもずいぶん見かけた。
それに対してそれぞれのファンが「大ちゃんは違うよ!」「羽生くんは見た目はフェミニンなところがあるけど、中身は漢の中の漢だよ!」などと反撃しているのも見た。
「ゲイである可能性」をそれぞれのファンがまあまあ必死に「否定」している。
それはすなわち、その人たちの中にゲイ(LGBTQ+)への偏見や差別意識があるからに他ならないのではないか。
もちろんネットの片隅でそのように攻撃し合っている人々と、「そういうことを受け入れられる社会になればいいよね」と言っている人々が同一人物であるとは限らないが、
海の向こうの外国人がどんな性的嗜好であっても全く構わないが、やはり同じ日本人の羽生や髙橋がもしそうであったならそれは認めたくないのだろう。(認めたくないというか、そうであると世間に知られるのは嫌なのだろう)
実際にもし羽生や髙橋がカミングアウトしたならば、ガッカリする(恥ずかしいような、劣等感を抱くような)気持ちになるファンは多いような気がする。
「へー、そうなの?それもひとつの個性に過ぎないよね?別にいいじゃん。大騒ぎするようなことじゃないよ」とみんなが言える日はいつか来るのだろうか?
(少なくとも私が生きている間は、世の中はそんなに変わらないように思う。残念ながら)