あなたに飼われる猫になりたい

認知症と死への恐怖に震える日々の記録。

席を譲るということ

先日のことである。

 

電車に乗っていて、

ある駅で脚の悪い男性が乗り込んできた。

30代前半という感じで、

杖はついていなかったが、

歩くことにとても神経をつかっているように見えた。

 

私はすぐに席を立ってその人に「どうぞ座ってください」と声をかけた。

しかしその男性は「あ、けっこうです」と暗い顔で俯いてしまった。

「え、、、どうぞ座ってください」と私は自分が座っていたシートを指し再度促したが、

その男性はもう横を向いて首を振るだけだった。

 

私はなんとなくもう一度自分が座っていた席に戻る気になれず、

そこから約10分間、自分が降りる駅まで立ったまま居心地の悪い時間を過ごした。

 

わまりの乗客はじろじろこちらを見るということはなかったが、

一部始終を見ていて「あ、、、おばさん、恥ずかしそう。こっちがいたたまれないよ」と思っていたかもしれない。

 

きっと私に席を勧められた男性はもっと居心地の悪い思いだっただろう。

先天的に歩行に障害があるようだったので、

これまでも何度も同じようなことがあったのかもしれない。

しかしその人は自宅から自分の足で歩いて駅まで来て、

杖もつかずに自力で電車に乗れているのだから、

見た目は障害を抱えている人だけれども、

日常生活は健常者とほとんど変わりのない行動ができているのだろう。

そこまで私は考えを巡らせるべきだった、と後で気づいた。

 

昔はよく初老の男性などに若い学生が席を譲ろうとすると

「人を年寄り扱いしよって!」などと怒り出すという話を聞いた。

 

それとは違う感覚かもしれないが、

今回私が席を譲ろうとした男性も

「電車の中で立っているくらい何でもないことなのに、人のことをそんなに弱い者扱いしないで欲しい」

と思っていたかもしれない。

悪いことをしたな、と反省した。

 

しかしその一方で、せっかく親切心で声をかけたのに拒絶されて私は悲しかった。

少し腹も立ったし、苦しかった。

もし私が若い学生だったら二度と誰にも席を譲る勇気が出なくなりそうだなと思った。

 

しかしそれもこちらの驕りなんだろう。

健常者の勝手な優越感なんだろう。

悲しく苦しく腹が立ったのはあの男性の方だったのかもしれない。

 

席を譲るということ、

人間同士、対等に向き合うこと、

相手の立場を想像するということ、

 

また反省する。