あなたに飼われる猫になりたい

大きな声では言えない日常の本音を書きたいと思います。

死因は餅だけではない。

50代になってから、私は誤嚥することが多くなった。

 

誤嚥(ごえん)とは、食道に入るべき食べ物が、気道に入ってしまうこと。

物を飲み込む嚥下機能が衰えて起こる事故である。

 

私の場合(他の人もたいていそうだと思うが)、

甘い食べ物で、汁気のあるものを食べている時にそうなることが多い。

 

たとえば、パイナップルとか、ぜんざいとか。

 

今日もぜんざいを食べていた時に大惨事になりそうになった。

しかも餅入り。

 

餅を食べる前に、ぜんざい(小豆と汁)をひとくち口に入れた途端、

私は誤嚥をしてしまった。

 

気道がふさがり、全く息ができなくなった。

 

吸うことも、吐くことも、できなかった。

 

死ぬかと思った。

 

これまで何度も経験してきた誤嚥の中で、

今回は本当に死ぬかと思うほど長く苦しい窒息の時間が流れた。

 

ヤバいと思った。

 

まだ餅を食べていないのに、

このまま死んだら、私の死体を発見するだろう夫はたぶん「餅をノドに詰まらせたんだ」と思うだろう。

 

違う!

私はまだ餅は食べていない!

 

このままでは死ねないと私は必死に冷静になろうとつとめ、

ゆっくりゆっくり息を吸った。

そして息を吐いた。

 

しばらくして、やっと正常に息ができるようになった。

 

私は命拾いをした。

 

よかった。

「餅をノドに詰まらせ50代女性死亡」にならなくて。

 

お正月になると、この「餅をノドに詰まらせ死亡」のニュースがいくつも流れる。

けれど、死因は餅だけではない。

 

(なぜ私は「まだ餅も食べていないのにこのまま死ねない」などと焦ってしまったのだろう。餅をノドに詰まらせて死ぬことが恥ずかしいことだとでも思ってしまったのか)

 

R.I.P

合掌

 

片手側転はそんなに難しくない。

今シーズンの紀平梨花選手のショートプログラムはとても評判がよい。

振付はブノワ・リショー氏。

 

話題の中心は片手側転である。

全日本選手権の解説の荒川静香さんは「身体能力の高い紀平選手ならではの技」みたいなことを言っていたが、果たしてそうなのだろうか?

滑る氷の上で重たいスケート靴を履いた状態で側転を、しかも片手で行うのはとても難しいという見解のようだが、初級・中級クラスの選手ならそうなのかもしれない。

が、三回転などを跳べるスケーターなら何でもない技なのではないかと思ってしまう。特に紀平選手は四回転も跳べるのだから朝めし前のことだろう。

 

などと素人ながらに「あんまり片手側転ばっかり注目せんでもええやん」と思いながら見ていたが、きっとこれから先、片手側転は紀平選手のトレードマークになることだろう。

そして引退してもイナバウワー1本で話題を繋いでいる荒川さんのように、ずっと片手側転をしながらアイスショーで全国を回ることになる未来が待っているように感じた。

 

 

Let Me Entertain You~天と地と

4年前、

「一緒にクレイジーになろうぜ!」と滑った男が、

 

今年は、

「お前をいかせてやるぜ!」と言っている。

 

昇天した私たちは、

その後、この世の現実を見る。

 

「戦いがもたらすのは、

勝利の恍惚か、

敗北の犠牲か」

と、その葛藤に苦しみもがく。

 

地に足をつけている人間は、

本来それだけで安定した暮らしを送れる、はず。

 

天には何があるのか。

そこは人間の住む場所なのか。

 

私はこの世で平穏に過ごしたい。

 

闘いのない日々を送りたい。

 

天へ行く(逝く)前に、

地上で幸せを享受したい。

 

 

羽生選手の新しいプログラムから私が感じたのは、

 

生きることは戦うこと、

それには犠牲と苦しみが伴う、ということ。

 

人は戦うことをやめられないのか。

敵を愛すれば、

戦いはなくなる。

それはやはり無理なのか。

 

 

 

 

羽生結弦の謎発言についてわかる方いらっしゃいますか?

www.sponichi.co.jp

 

 

明日から全日本フィギュアの競技が始まる。

 

男子シングルのスター、羽生結弦はショートもフリーも新プログラムを滑るという。

 

今日の午後、公式練習があった。

 

練習後のインタビューで羽生結弦は記者に、

(以下、スポニチの記事より抜粋)

 

―GPは欠場した。全日本出場への経緯は


 「まあ、別に考えは変化していないです。はっきり言ってしまえば、やはり自分として、自分個人の考えとしては、やっぱり、なるべく、その、感染につながるような行動はしたくない、と。で、現状、今この全日本につれて、どんどん、まあ、第3波、いわゆる第3波と言われる波が来ている状態の中で、僕が出ていいものかということは、かなり葛藤がありました。ただ、どうしても、ま、世界選手権に向けて、四大陸がなくなってしまったので、まずは世界選手権の選考会として、この試合を必須として出なくてはいけないので、まあ、そうですね、僕自身の希望を何とかつなぐために、出させていただいたっていうような感じです」

 

と答えている。

 

私は上記発言内青色にした部分「四大陸がなくなってしまったので」の意味がわからない。

 

記者は「グランプリシリーズはコロナが理由で欠場したのに、全日本へは出場すると決意した経緯はどういうことなのか?」を訊いている。

 

その答えとして羽生結弦は「四大陸がなくなってしまったので」「まずは世界選手権の選考会として」「この試合を必須として出なくてはいけない」と答えているのだが、

 

これを聞くと「四大陸が中止にならなければそちらに出場して、その結果で世界選手権の選考基準を満たしたかった」と取れるように思う。

 

けれど、今までそんな選考方法は、少なくとも私は聞いたことがない。

 

どういう意味だったのか?

羽生結弦はときどき謎な発言をすることがあるので、単なる言い間違いの範疇なのか?

 

 

どなたかおわかりになる方がいらっしゃったらコメントいただけると有り難いです。

 

お返しが出来なくて辛かった。

もうだいぶ前のことになるが、心のやまいで会社を休職していたときのこと。

 

同じ職場のママさんが私に何度も食べ物を段ボールで送ってくれていた。

ママさんと言っても私より10歳も年下だったのだが、3人の子持ちで、管理栄養士の資格ももっている女性だからか、「ちゃんと食べないと治るもんも治らないよ」という母のような想いからだと思うが、りんごとか梨とか干し芋とか、季節の物を中心にいろいろ送ってくれたのだ。

 

有り難かった。

涙が出そうだった。

なんと愛情深いのだろう、こういう人が母親だと子供は健やかに育つだろうな、

と思った。

 

けれど私は当時、外出するのもままならないほど心を病んでいたので、「ありがとう」とメールをするのが精一杯で、何もお礼の品を送り返すことが出来なくて辛かった。

 

日本人の感覚からすると、お誕生日やクリスマス、結婚のお祝い、お葬式のあれこれ・・・とにかく何でも貰ったら「倍返し」か「半返し」するのが当然と思ってしまう。

 

もちろん私に食べ物を送ってくれたママさんがそんなお礼返しを期待していたわけではないことはわかっているし、私からお礼の品が届かないからと言って「失礼な人だ」と怒っているわけはないとは思っているけれど、それでも何もお返しが出来ずに心苦しく思っている(いた)。

 

そうこうしているうちにママさんからの段ボールはいつしか届かなくなり、メールのやり取りもなくなってしまった。

 

今は私の病気も落ち着いているけれど、今さら「あの時のお礼です」と何かを贈るタイミングもわからない・・・。

 

貰っても嬉しいだけじゃないことってあると思う。

 

誰かに何かをあげる時、本当にその人はそれを望んでいるのか?それは贈る側の自己満足ではないのか?お返しがなくても平気か?を今一度考えたいと思っている。

 

 

骨肉の争い

遺産相続の話というと、小説とか映画とかドラマではよく骨肉の争いが話題の中心になる。

「そんなのフィクションの中だけの話なんじゃないの?」って思っていたが、まさか!と半ば笑ってしまうくらいのことが自分の身の上に降りかかってきた。

 

まずよくわかったのは、争いの元凶は相続を受ける人間(配偶者や子供たち)ではなく、相続権のない人々であるということ。

 

たとえば父親が亡くなりそうになって何某かの遺産を子供たちが受けることになった場合、横からごちゃごちゃ言って来るのは相続権のない父親のきょうだいや、子供たちの配偶者なのだ。

 

父親のきょうだい、例えば、何も実家の援助を受けずに嫁に行った父の妹たちとか、実家を陰から支えていた父の弟たちが、父が死にそうになってから「俺たちは今まで大変だった。兄貴には随分尽くした。遺産を少しくらいは貰う権利がある」などと主張し始める。

 

あるいは子供たちの配偶者が「お義兄さん(父親の長男)がこの家と土地を相続するなら、他の土地を自分たちに多目にくれてもいいんじゃないか」とか「きょうだいで会社を設立して土地活用と資産運用をしたらうまく税金対策できるし、収入の分配もうまくいくよ。会社設立の手伝いをしようか?」などと言ってくる。

 

みんな「金。金。金」だ。

もちろんお金は大切、それはわかる。

私もお金なんか要らないなんて絶対に言わない。

 

けれど、相続権のない人間が私たちきょうだいをコントロールしようとあれこれ口出しをしてくるのは、本当に争いの元になるだけなのだ。

 

私たちきょうだいは仲良くやっている。

話し合いもちゃんとしている。

きょうだいみんな納得して相続を進めようとしているのに、関係ない人間がどうしてそこまで口を出してくるのか?

うまくいっている私たちきょうだいの仲までぎくしゃくしてしまうではないか。

 

そんなことをモヤモヤ考えていた頃、父親の弟が事故で急死した。

私たちきょうだいが陰で「あの人がいなければ平和なのに」と言っていた矢先の出来事だった。

 

怖かった。

吐き気がして体が震えた。

(ただ、ずっと健康で好きな仕事をして、子供にも孫にも恵まれて、それで介護の必要もなく、誰の手も煩わせることなくこの世を去ることができた叔父は、ある意味幸せな人だったとは思う)

 

こういう事が実際に自分の身の上に起きると、ああ、骨肉の争いは本当にあるなと思う。

事実は小説より奇なり、とはこのことかと。

 

 

あれは一体何だったんだろう?

この1年間、ときどき録画を見返しては首を傾げていることがある。

 

それはこちらの番組の中のほんの一瞬の映像について。

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これは昨年の全日本フィギュアが終了した翌日の『めざましテレビ』である。

この日の『めざましテレビ』では5時台、6時台、7時台と何度もフィギュアの特集を流していた。

メインは羽生結弦宇野昌磨の大激闘。

 

私がずっと「あれは一体何だったんだろう?」と疑問に思っているシーンは7時台の映像の中にある。

 

7時台の特集の冒頭は上の画像の通り、表彰式が終わったあとの羽生結弦のインタビューシーンから始まり、

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男子フリーは大波乱であったというナレーション。

 

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そしてフリー演技の得点が出て最終順位(2位)が確定しバックヤードへ下がって行く羽生結弦の泣きそうな表情と「疲れた・・・」という本音を捉えるカメラ。

 

このように7時台の特集内容をダイジェストで紹介していき、(唐突に)その次に挿し込まれた映像がこちら。

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バックヤードでスケート連盟のお偉いさんに何か言われ、それに対して宇野昌磨は「あ、いいです。僕はいいです」と戸惑った様子でそのお偉いさんの何らかの提案を断っていた。

 

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「あ、いいです。僕はいいです」とお偉いさんの言葉を振り切った宇野昌磨は、そのお偉いさんを気にしながら振り返りつつインタビュースペースへ歩いて行った。

 

時間にしてほんの5秒の映像だが、番組のスタッフは何故こんなシーンを挿入したのだろう?

意味もなくこんなシーンを入れるわけはなく、何らかの意図を持って入れ込んだはずだと思うが、どんな意味があるのかいくら考えてもさっぱりわからない。

 

このあとの流れは、表彰式を終えて記者会見場へ向かっているのであろうか、爽やかに「まだいるよいっぱい。俺の上にはいっぱいいるよまだ」と宇野昌磨に発破をかけつつも直後には涙をこらえる表情になる羽生。

一方、初めて羽生結弦に勝ち、とても嬉しそうな表情の宇野。

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そして番組はここから10分以上に渡って、会場入りからウォーミングアップ、二人のショート、フリーの演技、インタビューなどを詳しく報じていた。

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スケート連盟のあの男性は宇野昌磨に一体どんな声を掛けたのだろう?

宇野昌磨が言った「僕はいいです」とはどういう意味だったのか?

そしてこのシーンをわざわざ番組で流した意図は何だったのか?

 

そんな答えのない(もしかしたらどうでもいいような)ことをいつまでも考えてしまっている。

 

 

今年の全日本フィギュアに羽生結弦は出場するらしい。

王座奪還なるか、楽しみに待ちたい。

NHK杯の放送に辟易してしまったので余計に期待する)