あなたに飼われる猫になりたい

大きな声では言えない日常の本音を書きたいと思います。

ちょっと困ったラーメン屋

私はラーメンがけっこう好きである。

毎日でも食べたい!とまでは言わないが、

無性に食べたくなる時がある。

ここ何年かは夫がラーメンを食べると胃がもたれるようになってしまったので、

食べたい時は昼間ひとりでラーメン屋へ行くようにしている。

 

最近、近所ににぼしスープのラーメン屋がオープンしたので、今日行ってみた。

カウンターだけの10人も入れば満席になる小さなラーメン屋である。

入り口で食券を買って、水はセルフで、というシステムのよくあるお店だった。

 

今日は初めてということもあって、ラーメン(並)820円を食べた。

ザ・にぼし!の深い味わいと、細い麺。薄めのチャーシューが3枚とメンマは多め。

 

まあまあ美味しかったのだが、困ったことがひとつあった。

荷物を置く場所が全くなかったのだ。

 

今どき普通の飲食店は、足元にカゴが置いてあって、そこにかばんや上着を入れておけるか、(カゴがなくても)椅子の背もたれに上着をかけられたり、カウンターテーブルの下にもう1枚板があってそこに荷物が置けるというお店はよくある。

 

が、今日のお店には何もなかった。

椅子は背もたれのない丸いパイプ椅子で、足元のカゴも、カウンターの下の板も、とにかく何もなかったのだ。

 

他のお客さんはみんな上着を着たまま食べていたので、私も春物のハーフコートを脱がずに食べようと決心したが、ショルダーバッグはどうしたものかと本気で悩んだ。

そのバッグは先週、ホワイトデーの贈り物として夫が買ってくれたちょっとお高い皮のバッグで、今日おろし立てだったのである。

私ははじめ、バッグを膝に抱えてラーメンを食べようかと思ったが(実際、隣の女性客は膝に乗せていた)、汁が飛んだらやだなぁと思い、店員さんに尋ねてみた。

 

「かばんを置く場所ってないですか?」と。

店員さんは申し訳なさそうに、

「ないんですぅ。奥でお預かり致しましょうか?」と言ってくれたが、ちょっと躊躇した。

私は人並みに用心深い人間なので、初めて入ったラーメン屋で、自分の大切な持ち物を「じゃあ、お願いします」などと軽々しく預ける気になんかなれないのだ。

しかし、どうにもバッグの置き場所に困ったので、結局しかたなく預かってもらうことにした。

スマホと財布だけは取り出して、カウンターの脇へ置いておいた)

 

男の人はわりと手荷物を持たない人が多いのでこういう悩みはないかもしれないが、女性のお客さんだって今日私の他に2人はいたから、皆さん困るだろうに。

しかも厨房でラーメンを作っていたのは女性の店員さん2名。

私に「荷物お預かり致しましょうか?」と訊いてくれた店員さんも女性だった。

つまり女性ばかりで営業しているお店なのに、女性目線では考えなかったんだろうか?と思ってしまった。

(いや、男性だって上着を脱ぎたい人もいるだろうし、かばんを持っている人だっているはずだ)

ま、いいや。たぶんもう二度と行かないラーメン屋になるだろうから。

 

そう言えば、今日のラーメン屋さんは麺の固さを聞いてこなかった。絶妙な固さ一択だったんだろうか?

以前行ったラーメン屋でも何も聞かれなかったことがあり、

「麺の固さの好みってお願いできます?」と言ったら、

「あ・・・はい。・・・言ってくだされば」という答えが返って来たことがある。

その表情は「お客さん、通は店員が聞かなくても、そっちから固さの指定するもんでしょ?」と言っているようだった。

偏見かもしれないが。

そしてそのお店にも二度と行っていないのだが。

 

たかがラーメン屋のくせに、とまでは言わないが、荷物を置く場所の配慮にしても、麺の固さの指定にしても、もう少しカスタマーファーストの接客をして欲しいと思った。

(たかがラーメンのことでグダグダ言って申しわけない)

 

猫のせいで高所恐怖症になった。

今住んでいるマンションに引っ越して来てもうすぐ13年になる。

それまでに私は何度も引越しを経験しているが、

高くても4階までで、今のマンションは初めての高層階、15階の住人になった。

 

そして初めて高所恐怖症という病気の本質というか実態を知った。

 

それまでいろんな人が「高い所がダメで~」などと言っているのを聞いても、

「高いところが怖いってどういうことなんだろう?吊り橋とか、山の上の方の道路とか、ジェットコースターとか、確かに高い所は怖いけど、“ダメ”っていう感覚はわからないな」と本当に他人事に思っていた。

 

が、ある日突然、私は高所恐怖症の意味を実感した。

 

それは夢をみたからである。

 

猫が15階のベランダから飛び降りて落ちて行く夢をみたのだ。

 

めちゃくちゃ怖かった。

たぶん夢の中で大声で叫んでいたと思う。

飛び起きて体中が震えていたとも思う。

夢の中なのに下半身がひゅーっとして、何とも言えない恐怖感と不快感があった。

 

それ以降、私はベランダに出るのが本当に心底怖くなってしまった。

ベランダのフェンスに近付くのも足がすくむ。

下半身がひゅーっとする。

これが高所恐怖症というものかと思った。

 

猫がベランダから落ちることも、

自分がベランダから落ちることも、

絶対にないとわかっていても、とにかく怖いのだ。

「安全」だとわかっていても「とにかく怖い」のだ。

理屈ではなく本能的なものだろうか。

 

うちの猫はベランダに出て日向ぼっこをするのが好きだが、

私は絶対に猫から目を離さないようにしている。

夫などは私がぎゃーぎゃー怖がるのを知っていて、

猫をベランダに出して放置することがよくある。

面白がっているのである。

悪趣味な奴だ。

はじめのうちは「あかーん!」と言って、すぐに猫を見守りに私はベランダに出ていたが、夫が図に乗って何度も同じことを繰り返したので、

今では無視することにしている。

こっちの心臓がもたないからである。

(猫がベランダから落ちることは絶対にないとわかってはいるが)

夫も私が無反応であることが面白くないのか、すぐに猫を家の中に連れ戻すようになった。

やれやれである。

 

あと、私は風の強い日にベランダに洗濯物を干すのも怖い。

大小何種類かの洗濯バサミで何カ所もしっかり止めるようにしているが、

リビングから洗濯物が風に揺れているのを見ると、

遠くへ飛ばされて行ってしまうのではないかと、いてもたってもいられないくらい胸がザワザワする。

その様子が視界に入る度に何度もベランダに出てちゃんと洗濯物が固定されているかを確かめずにはいられず、最近ではちょっとでも風がある日は何も干さないことにしている。

 

高層階に住むのはほんの少しだけ優越感があったが、

それを上回る後悔もずっと味わっている。

 

朝ドラ、もう無理かも・・・。

現在の朝ドラ『おちょやん』、私は杉咲花さんがわりと好きなので楽しみに見始めたが、だんだん辛くなってきた。

 

視聴者の多くが言っているように、トータス松本さんの酷い父親ぶりも見ててしんどかったが、やはりなんと言っても主役の杉咲花さんの演技が“あり得ないくらいにうるさい”と感じる。

 

“うるさい”と言うより、感情を剥き出しにし過ぎてて、受け止め切れないという感じだろうか。

父親に対しても、芝居仲間に対しても、岡安の家族に対しても。

 

そして杉咲花さんよりも私が「無理かも・・・」と感じているのは、ほっしゃんである。

こんなことを言ったら大変申し訳ないのだが(そしてこれは言ってはいけないことだとわかってはいるが)、星田英利さんのカエルが潰れたような顔とギャーギャーうるさい役柄がもう朝から耐えられないのだ。

星田さん、ごめんなさい。

 

成田凌さんもだいぶキツイ。成田さんのことは『スマホを落としただけなのに』のサイコな役が強烈で、それ以来生理的に受け付けなくなってしまった。

成田さん、ごめんなさい。

 

それと関西方面の喜劇とかお笑いとかに、自分はあまり馴染みがないのだということにも気が付いた。

現在でも土曜のお昼に『よしもと新喜劇』をテレビでやっているが、全く興味が持てないので、今回の朝ドラにもハマらないのもしかたのないことだろう。

 

現在、私が楽しみにしている朝ドラは、BSPで再放送中の『澪つくし』と、夕方の地上波再放送中の『花子とアン』である。

前の期間に再放送していた『はね駒』や『純情きらり』も面白かった。

昔のドラマが面白いなどと感じるのは、単に私が年を取ったせいだと思うが、それにしても最近のドラマの演出は暑苦しいというか、大袈裟というか、見ててしんどくなることが多いと感じる。

 

『おちょやん』の放送はあと2ヵ月か。

最後まで見続けられるだろうか。

テレビだけつけてて、流し見するくらいがちょうどいいのかもしれない。

 

衝撃的だった親戚の行動。

私は27歳のとき、1回目の結婚をした。

元夫は学歴も収入も見てくれも、私にとっては合格点を超えていて、

私たちはとても愛し合い、信頼し合い、互いを求め合って結婚した(と私は思っている)。

 

元夫は小さい頃、母親を癌で亡くしており、家政婦さんに来てもらっていた時期もあったそうだが、基本的には男手ひとつで大切に大切に育てられた。

元夫には年の近い妹と弟もいたので、お義父さんの苦労は相当なものだったと思う。

 

そのお義父さんには何人かの兄や姉がいて、

一番上のお姉さんの娘が東京に住んでおり、

元夫が大学時代に東京に住んでいた際、随分親身に世話を焼いてくれたのだそうだ。

お義父さんのお姉さんの娘なので、元夫からすればその人は従姉であるが、その女性は年齢が元夫の母親としてもおかしくないくらいの歳だったので、

元夫は「東京の母」あるいは「母親代わりのおば様」と呼んでいた。

おば様は、私たちの結婚式の際にもいろいろ段取りや引き出物のアドバイスなど、

男親では気付かないような細かなサポートをしてくれて、私も感謝はしていた。

(本音を少し言えば、私の夫となる男性には母親がいなくてよかったーと思っていたのに、実際には姑的おば様がいてちょっと鬱陶しいなとは思っていた)

 

そして、そのおば様の衝撃的な行動は、結婚して最初の新年に訪れた。

年末に私たち夫婦は「結婚して初めてのお正月です」という言葉を添えて年賀状を作成したのだが、

私は私の友人・知人・恩師・元同僚などへ例年通り発送し、

元夫の分は(私は当然のことだと思っていたので)元夫に任せていた。

が、元夫はどちらかと言えば几帳面な性格ではなく、絶対に送らなければならない相手以外の年賀状は、来てから出すタイプだった(ということは結婚してから知ったのだが)。

 

で、新年になって10日ほど経ったある日、私の実家の母から私に電話がかかってきた。

 

「東京の○○さん(例の姑的立ち位置のおば様)から手紙が来たよ。あんた、○○さんに年賀状出さんかったんだって?自分の息子夫婦のような気持ちで接していたのにどういうおつもりなんでしょう?って書いてあったよ!」と母が言うではないか!?

 

はぁー!?なんで私が怒られなきゃならんのー!?

ってめちゃくちゃ驚いたことを昨日のことのように思い出す。

 

だってそうでしょう!?

基本、おば様は元夫の親戚。

自分の親戚に年賀状を出すのは元夫の仕事なわけで、年賀状を出さなかったことをなじられるなら私じゃなくて、元夫のほうだと思うのだ。

百歩譲って、おば様は私にとっても親戚になったのだから、私がちゃんと配慮して私が年賀状を出すべきだったのかもしれない。

そうだと考えれば、出来の悪い嫁として私が叱られても(百歩譲って)納得は行く。

が、おば様は私に直接ではなく、私の母に手紙で告げ口をしたのだ。

 

あー、これだから姑はやだねー、と心底思った。

 

そのおば様は九州の厳格なお家で育ったいわるゆ良妻賢母。

まあ私のような粗野な育ちの田舎者には言いたいことがいっぱいあったんだろうなーと未だに思う。

(それ以来「九州女怖えー」という偏見を私は持っている)

 

こんなこともあった。

結婚してしばらく経ってから何か仕事をしようと思っていた私に、

「飲食店はやめなさいね。ああいう所はどんな人が接触してくるかわからないから間違いが起きてもよくないわ」などと、ウェイトレスなどの接客業をする人妻が不倫に走る確率は非常に高いのだと心配しているような大きなお世話な発言もあった。

(本当は事務仕事よりも接客業を低く見ていたんだと思うが)

 

結局そのおば様とはだんだん疎遠になり、約6年後、私は最も愛した男とも縁を切ってしまった。

 

何かうまくいかない夫婦というのは、その親とも親戚とも全体的に価値観などが合わないってことがあるんじゃないかと今でも思っている。

 

もちろん一番合わなかったのは、その最も愛し、信頼し合って結婚したはずの元夫なのだが、その話はまたの機会にじっくり書こうと思う。

 

CMうざい。

地上波テレビはとにかくCMが多い。

多いだけじゃなく、CMに入るタイミングも悪い。

 

クイズの答えの直前とか、

ドラマのドキドキの展開のところとか、

情報番組の新たな真実が明かされる前には何度も何度もCMを挟んで引っ張るとか。

 

もーお、本当に腹が立つくらいウザイ!

テレビのCMがこんなに鬱陶しく感じるようになったのはいつからなんだろうか?

30年くらい前のバブルの頃は、いろんな新しいモノが魅力的に見えて、

CMを見るのもある種楽しみな部分もあった(ような気がする)のだが。

 

10年前の3.11のあとは、全チャンネルで♪AC~のCMがたくさん流れて、

逆に淋しいと言うか、世の中これからどうなってしまうんだろうと気持ちが沈んだ。

 

そこからの10年間(かどうかは私の記憶がもはや定かではないが)、

私自身があまりテレビを真剣に見ていなかったからか、

気が付いたら「CM多い。タイミングが悪い。うざい」と感じるようになってしまっていた。

 

今は地上波もBSもNHKを中心に見るようにしている。

あるいは、民放のBSで古いサスペンスドラマの再放送ばかり見ている。

BSのドラマの再放送に挟まれるCMは1回ずつがやたら長いテレビショッピングが多いので、

CM中はトイレに行くか、Twitterやネットニュースを見る時間に当てている。

そうすればあまりCMの多さ、長さに腹が立つこともない。

 

 

夫が昔読んだ星新一の小説で、

「未来では音も映像も情報が溢れかえり、

あまりにも耳ざわりなので、

“無音”のレコードが発売される。

そしてそれが一番値段が高い。

高い金を出してでも人々は静かな時間を手に入れたい時代が来る」

という内容のショートショートがあったそうだ。

 

今まさにそれを笑えない世の中になっているなと思う。

ネット記事でもYouTubeでも広告やCMがあまりにうるさいので、

それを入れない有料の契約があったりする。

 

本当に欲しい情報だけ手に入れたい、

静かに過ごしたい、

そういう環境が今は一番高くつくということか。

 

CMを見て欲しい企業とテレビ局の人々の苦心もわかるが、

もう少し心穏やかに地上波放送を見られる工夫もして欲しいものだ。

 

認知症と相続と民事信託

私の実家では父親が認知症になる前に民事信託の契約を結んだ。

父とその相続人である私たちきょうだい4人で司法書士の先生にご指導いただき、

公証役場公正証書を作成した。

(母親はすでに他界している)

 

土地の名義変更やらコンサル料やら、なんだかんだで数百万円かかったが、

何も対策をせずに父親が認知症になってしまったら、

それこそ資産運用や税金対策が何も出来ずにストレスだけ貯める日々を送ることになっていたであろう。

(それを思えば数百万円など安いもんである。たぶん。いや、高いか・・・)

 

ただ、2年前に土地の売買取引をした業者さんが言うには、

「相続人であるごきょうだい4人が全員納得して売買をするなら、

そこに揉める要素は1ミリもないわけですから、

たとえお父様が認知症であっても、そして民事信託の契約がなかったとしても、

今回の取引きは全く問題がないですよ。

誰にも文句を言う権利はないのですから」とのことだった。

 

確かにそうだ、と思った。

私たち相続人全員がちゃんと税金を支払い、

仲良く相続の分割協議をするなら、

たとえ父親が認知症になって判断能力がなくなってしまっても、

誰にも突っ込まれる要素はないのだ。

 

親が認知症になって問題になる一番の要素は相続時の不公平さなのだから、

現時点できょうだい仲良く納得していれば、そのまま分割協議をしているのと同じこと。

何も問題はない。

 

汗水垂らして土地を守って来てくれた親に感謝しながら、

ずっときょうだい仲良くやって行きたい。

 

 

頭がおかしくなりそう。

いや、もうすでにだいぶおかしいのかもしれない。

 

私はフィギュアスケートが好きでよく見る。

 

ファンのブログもよく読む。

情報が充実しているブログ、

プログラムをじっくり解説しているブログ、

スケーターの美しさに萌えているブログ、

いろいろあって毎日読んでも飽きないし、楽しい。

 

・・・正確に言うと、

楽しかった。

(過去形)

 

昨年の全日本選手権の前後に、

「コロナなのに観客を入れてやるのか?」

「無観客でやるべき!」

「中止でもいいのに!」

PCR検査は何回やるのだ?」

など厳しい意見が噴出していた。

中には開催地の長野県医師会に問い合わせをしたファンもいた。

 

完全なる部外者のファンが何をしているのかと思った。

「若いスケーターが感染したら後遺症に苦しめられるかもしれないから」

ともっともらしい理由を述べている人もいたが、

その人は他の試合やアイスショーにも同様の抗議をしたのだろうか?

 

昨年の世界選手権の前も「中止すべき」とか、

夏のISU Awardsのときも「そんな賞はいらない。意味ない」などとかなり騒いでいるファンがいた。

 

「採点がおかしい」

「変な記事が出た」

「あの人があんなことを言っていた」

と、何から何まで文句を言い、抗議をし、

「選手のため」と言ってはぎゃーぎゃー喚き散らしている。

 

それが本当に選手のためになっているのだろうか?

私には単なるモンペにしか見えない。

いくら若いからと言っても、

選手たちには親もコーチもいるのだから、

ファンが守ってやらなければならないことなど何もないのではないか?

あるいは困難なことや理不尽なことに襲われても自分の力で乗り越える経験は今の彼らには多少は必要だと思う。

そうしなければ、これから先の長く険しい人生など生きていけないだろうと思うから。

 

橋本聖子氏の昔のセクハラ疑惑についても今かなり騒いでいるが、

それはもう済んだこと、どーでもいいではないか?

 

とまでは言わないが、

いつまでもそのことに拘っていて、

選手側が完全なる被害者だとファンが叫んだところで何になると言うのだろう?

誰の得になるのか?

 

ブログをやっている人の中にはファンを名乗ってはいるものの、

刺激的な記事を書いて読者を煽りたいだけの人もいるだろうし、

アクセスを伸ばしてアフィリエイトで稼ぎたいだけの人もいるように見えるし、

自分の書くことに大勢のファンが右往左往する様を内心バカにして面白がっている人もいるのではないかと思ってしまう。

 

そういうことをわかっていながら今まではそういうブログを読むのが楽しかった私も大概だが、

ああいうブログが選手たちの目に触れたらどう思われるだろう?と心配になる。

フィギュアスケートのファンは中高年の女性が多いが、

自分の親よりも年齢の高い人たちが毎日「あーでもない。こーでもない」とネットの中で侃々諤々している様子はさぞかし気味の悪いものではないかと思うのだ。

 

今はもうそういうブログ界隈が気持ち悪くなってしまって、

今年になってから苦しくてしょうがない。

(限界値を超えてアレルギー症状が出た、みたいな感じ)

 

 

こんなことを書いている私こそが気持ちの悪いオバハンなのだろうという自覚はあるので、今日はここまでにしておく。