あなたに飼われる猫になりたい

大きな声では言えない日常の本音を書きたいと思います。

単純に盛り上がるアメリカ

コロラド州デンバーで開催されたホームランダービーを見た。

MLBオールスターゲームの前夜祭としてのイベントらしい。

日本人として初めて大谷翔平が出場するというのでちょっと興味が湧いてしまったのだ。普段は日本のプロ野球でさえ全く関心はない。

 

まずはじめに驚いたのは球場を埋め尽くす大観衆。

誰もマスクなど着けていない上に、ビール片手に大歓声を発している。

アメリカはもうコロナは終わったようだ(?)

 

先日行われたウィンブルドンのテニスでも、サッカーのユーロ大会でも観客の制限はなく、そして誰もがノーマスクで大歓声だった。

ワクチンが普及した世界というのは本当にコロナが終わったかのような日常が見られるのだ。

 

ホームランダービーでは期待の大谷は延長に次ぐ延長の末、1回戦で敗退してしまったけれど、観客はその勇姿に大満足のようだったし、(たぶんアメリカのスター選手である)アロンゾが二連覇を成し遂げてこの大会は大成功だったのではないか。

 

とにかくアメリカ人は単純に「強い人が勝つ」のが大好きだ。

それがどんな勝ち方でも、勝つことこそがドラマなのだろう。

生まれた直後からコーラをミルク代わりに飲んで育つような国民性なので、ルールとか常識とか他人の価値観とか全く気にしない(ような気がする)。

何百グラムもあるステーキを毎日食べ、汗をかきながらガシガシ働き、休みの日には球場の駐車場でバーベキューをしてから観戦するような人々。

 

楽しんだもん勝ちの精神にはどの国の人も勝てる気がしない。

 

日本ではコロナの感染者数が東京で(たったの)920人になっただけで緊急事態宣言。

どこもかしこも入場制限、酒類提供禁止、イベント会場では歓声禁止、とにかくマスク、マスク、マスク・・・三密回避・・・東京五輪も無観客。

 

なんという違い!

同じ地球上で起きていることとは思えない!

 

日本人は秩序正しく、控え目で、和を重んじ、おとなしく、我を抑える。

それこそが正しい人間であり、正しい社会を作り上げると信じている。

黙々と精巧な技術を積み上げ繊細な作品を産み出すのが日本人の職人魂。

私も日本人としてそういう姿を誇らしいと信じているが、勝ち負けの話に限って言うと、それでは欧米には勝てないと思う。

 

なりふり構わない単純さ。

会場一体となって熱狂するあのエネルギーの凄まじさ。

少し羨ましいと思ってしまった夏の朝だった。

(このあとアメリカやイギリスでコロナ感染者が再拡大するのかどうかにも注目したい)

 

 

5年前から変わらない日本フィギュア界

この週末、Dreams On Iceが開催された。

7月9日(金)1公演、10日(土)2公演、11日(日)1公演、計4公演。

会場はKOSE新横浜スケートリンクという比較的小さな箱だった。

しかも観客の数を制限していたのでチケットはあっという間に完売。

その上、転売屋がごっそり買い占めた可能性もあり、今回のチケットを手に出来たファンはかなりのくじ運を使ったであろうと言われている。

 

とにかく「チケットが手に入らない!」「抽選外れた!」という多くのファンの嘆きがあちこちから聞こえていた。

 

なぜそんなに入手困難だったのか?

それはひとえに羽生結弦が出演するアイスショーだからだ。

その証拠に(と引き合いに出して大変申し訳ないが)羽生結弦以外はほぼ同じメンバーで行われるアイスショー(The IceやPIW)のチケットは発売して少し時間が経つがまだ完売していない(と言うか余裕で買える)。

 

3年間の興行を終えた浅田真央のサンクスツアーや、隔年で開催される(?)髙橋大輔の氷艶などは、内容的には独自性があり私も興味をひかれたが、それでも全公演完売御礼とはならなかったらしい。

浅田にしても髙橋にしてもフィギュアスケーターとしてのスター性は問題ないと思うが、日本でアイスショーを成功させるにはとてつもない魅力を持った大スターが必要なのだろう。

 

2016年のオフシーズン、羽生結弦は左足リスフラン関節靭帯損傷でアイスショーを全て欠場した。

欠場が発表されるまでにFaOI(別名羽生結弦ショー)のチケットは完売だったようだが、羽生が出ないなら行かないというファンはけっこういたようである。

特に札幌公演はチケット代以上に交通費や宿泊費が必要になる遠征組が多かったようで、会場はガラガラだったらしい。

それが現実なのだ。

そしてこの5年前と現在とで、状況は何も変わっていないというのも事実である。

 

7月10日(土)の23時からISU Skating Awardsが昨年同様オンラインで配信された。

私は半分眠りながら見ていたが、やはり白人種の美男美女が英語でMCをして、音楽や映像にもそこそこ凝って番組を作ると“それなりに豪華な”雰囲気が出る。

同じ頃、スポーツ界のアカデミー賞とかいうESPY賞に大坂なおみ大谷翔平が選出されたとニュースになっていた。(ローレウス賞の米国版か?)

こういうのを見るとやはり欧米のショービジネス、エンタメ界のスケールの大きさ、華やかさは凄いなと正直思う(悔しいけれど)。

 

羽生結弦のLet Me Entertain YouやBlinding Lightsが絶賛されているが、その曲を歌っているアーティストのライブ映像を見ると「彼らとは生きている世界が違う」となんだか悲しくなってしまうほど欧米人の熱狂は桁違いである。

 

そんな世界と比較してとやかく言っても意味のないことかもしれないが、名実ともに揺るぎない大スターである羽生にさえ物足りなさを感じてしまうのだから、他の日本のスケーターにはもっと視野を広げて魅せるテクニックを学んで欲しい。

羽生が引退した後の日本のフィギュア界はどうなってしまうのだろう?と他人事ながら淋しい気持ちになるのだ。

(スケーターたちの技術的な問題というより、興行主の意識の問題か?アイデアが古臭く陳腐であってもまあいいかと思っていそうで残念である)

 

(尚、韓国のBTSというグループがとても人気があるらしいが、彼らよりは羽生の方がずっとカッコいいと私は感じる。単なる好みの問題かもしれないが)

 

アサインに対して。

6月30日はフィギュアスケート界では大晦日ということになっている。

新しいシーズンが7月1日から始まるからだ。

 

今年は、その6月30日にグランプリシリーズのアサインが発表された。

コロナ禍で昨年はカナダ大会とフランス大会が中止となり、開催されたアメリカ大会、ロシア大会、中国大会、日本大会は実質国内選手権のような形となった。

その結果、グランプリファイナルも開催はなくなってしまった。

 

今年は今のところ6戦全て開催予定となっており、(おそらく)規定で決められた通りにスケーター達はほぼ2戦ずつ出場することになっている。

 

注目のネイサンはアメリカとカナダ。

羽生結弦は日本とロシア。

宇野昌磨アメリカと日本。

鍵山優真は中国とフランス。

 

このアサインについて、それぞれのファンはいろんな意見を言っている。

 

(一部の)羽生ファンは「ネイサンは北米から出る必要のないアメリカとカナダを希望した。移動も少ないし、シリーズ1戦目と2戦目に出て、早々にファイナルを決めて楽に準備をするのだろう。そんな甘い計画では、かえって北京五輪本番で云々」

「鍵山くんは連盟の推しだけあって、特にライバルのいない中国とフランスになった。シリーズ2勝してファイナルに進めるだろう。得点も上手いことやるのではないか?もっと強敵と当たって北京五輪に備えた方が本人の為ではないか?」

「昌磨くんはフランス大会に出ると思ったけど今年は世界選手権で4位だったからネイサン、羽生くん、鍵山くんのいずれかと当たらないといけない。ネイサンと羽生くんには負けてもいいけど、優真くんには負けられないと考えたのかな?」

「ネイサンがスケカナを選んだから、羽生くんはスケジュールのキツイ日本とロシアになってしまった」

「羽生くんは1か月半の間にNHK杯、ロステレ、ファイナル、全日本と4戦もしなくちゃいけない。2019年みたいに体力を消耗する流れにされた」などなど。

 

他のファンは「優真くんの方が世界選手権で羽生くんより上位だったのに、なんでNHK杯に出られないの?全日本王者が優先されるの?人気者だから?」

「昌磨くんはやっとNHK杯に出させてもらえた。でも羽生くんと当たるなんて潰し合いだよ」

「羽生くんがスケカナを選んでくれたら、ネイサンが他の国に行けたのに」

「ラファもランビエールも移動が大変」etc.

(2017年のブライアンは毎週遠征で、途中突発的な病気で手術入院の目に遭ったほどだった。トップ選手を複数抱えるコーチはたいてい大変だ)

 

みんなアサインがどのように決められているのか内部事情など知り得ないはずなのに、凄まじい妄想力を発揮して好き勝手言いたい放題である。

自分が応援している選手にちょっとでも不利になりそうな展開に見えると言わずにはおられないのであろう。

 

しかし、たとえばスケジュールだけを見ても、グランプリシリーズは10月から毎週行われて、たいていの選手は2戦出場する。そして上位の選手は12月初旬のファイナルに進み、日本人はその後クリスマスの頃に全日本がある。これは毎年のことであり、羽生は(宇野も)ずっとこの間隔で試合をこなしてきた。2019年や今年だけが異常なアサインというわけではないはずだ。

特にファンが問題視している2019年に関しては、羽生は試合のたびに拠点であるカナダへ戻っていたので、自ら体力を削り、時差ボケの調整が出来ない過酷なスケジュールになっただけで、アサインの意図的な企みや連盟の陰謀などではなかったのではないか?

また、2016年は羽生は体調不良で全日本欠場、2017年と2018年は怪我でファイナルも全日本も出ていない。短期間で連戦をこなすリズムを掴みきれなかったのは羽生自身の問題であるように見える。

(などと私自身も真相を何も知らないのに憶測でものを言ってはいけないが)

 

ただこれだけは確かなことだと思っているのは、羽生は男子スケーターの中ではもう若手ではなく、かつて1か月半~2か月の間に4戦しても乗り超えられた体はもうなく、その上現在は4Aなどという未知の高難度ジャンプに挑戦中なので、実際のところ今年の全日本を迎える頃にはボロボロになっていてもおかしくはない。

それをまた「羽生くんは潰された。こんな過酷なスケジュールなんてひどい。アメリカとスケ連が裏で手を組んでいるに違いない」などと言い出すファンも出て来るだろう。

そう考えただけでうんざりする。

(2017年の全日本のあとは、羽生の平昌五輪のコーチパスが1枚しか出なかったことをあれこれ言って連盟にすごく怒っていたファンがいたがあれにも閉口した。そんなことは選手とその陣営が考えることなのだ。全くの部外者である単なるファンが何を出過ぎたことをと思った)

 

誰がどの試合に出るのか、誰と誰がファイナル前にぶつかるのか、それは本当に潰し合いなのか、それは結果的にその選手にとって吉と出ることはないのか(2013年の羽生のように)、と答えのないことをいろいろ考える。選手たち自身はどう思っているのか一度聞いてみたいものだ。

 

羽生結弦の目指す先は4A成功のみ。

ファイナル優勝でも、全日本優勝でも、北京金メダルでもない(はず)。

もっと冷静に状況を見守っていけたらいいのにと思う。

0.01秒の意味

ここのところ、東京オリンピックの代表選考会がいくつも開催されている。

今日も陸上の大会があったようだ。

あまり興味がないのでチラッとしか見ていない。

 

男子の100mで優勝したのは多田修平選手。

10秒15だったそうだ。

彼より(たぶん)知名度の高い桐生祥秀選手やサニブラウン・ハキーム選手は5着と6着で代表を逃したらしい。

桐生選手は10秒28、サニブラウン選手は10秒29。

優勝者と彼らとでは、「0.01秒の差!惜しい!」と言うほどの僅差ではないが、ちょっとした体調や精神状態や運で結果は入れ替わりそうな戦いだと思う。

※今日の決勝で、もうひとり代表内定を掴み取ったのは、10秒27で3着の山縣亮太選手だったそうだ。桐生選手があと0.01~0.02秒早ければ結果は違っていたのだろうか?選考基準がよくわかってないので曖昧ですみません。

 

陸上でも水泳でも、もちろん他の競技でも、いつも思うが、そんな僅かな差を競うことにどれほどの意味があるのだろう。

いや、その僅かな差が、将来大きな差に繋がるから皆必死なのだ。それはわかる。

オリンピックに出られるかどうか。

オリンピックでメダルが獲れるかどうか。

メダルの色が金か銀か銅か・・・そこには天と地ほどの違いがあるのだ、彼らには。

(彼ら選手自身だけではなく、家族やスポンサーやファンにも関わってくる)

 

オリンピックの金メダルと銀メダルの間には、何をしても埋められない深くて長くて暗い溝があるという人もいる。(溝というか、川というか、物心両面における差があるらしい)

 

それでもやはり私には疑問だ。

たった0.01秒の差、0.01点の差、たった1cmの差。

その違いに何の意味があるのだろう?

そこには実力の差はほぼ無い。

あるとしたら運の良さだけのように思う。

 

そのとびきりの運の良さを掴むために、選手たちは日々血の滲むような努力をしているのか。

世界の頂点を目指すとはそういうことか。

それは頭ではわかっているが、普通の平穏な暮らしだけを望んでいる私からすると、ただただ虚しいのだ。

 

そこに幸せはあるのだろうか。

満足はあるのだろうか。

(本当に、誰かの、何かの、ためになっているのだろうか)

と、こういう競技会を見るたびに思ってしまう。

もしそれが羽生や髙橋だったら?

先日、ジェイソン・ブラウン選手がカミングアウトをしたと話題になっていた。

多くの人が「知ってたよ」「むしろ、そうじゃなかったら逆に驚くわ」などと呟いていた。

フィギュアスケーターではその他、ケイトリン・ウィーバーさん(カナダ代表の女性アイスダンサー)と、ポール・ポワリエさん(カナダ代表の男性アイスダンサー)も同じ日にカミングアウトをしたそうである。

今月は何やら“Pride Month”というLGBTQ+の権利について啓発を促すイベントが開催される月らしい。

 

フィギュアファンの多くはジェンダーの多様性に(表面的には)理解があるように私は感じている。

昔からフィギュアスケーターにはゲイであることを公表している男性が多いし、そういうスケーターの美意識の高い滑りに魅力を感じる人こそが深いファンになる傾向があるからかもしれない。

 

そして「わざわざカミングアウトをしなくても、全ての人がそういうことを普通に受け入れられる社会になるといいのに」というコメントもたくさん目にした。

 

一方、ネットの闇の中には、髙橋大輔がホテルで男性とデートをしていたという目撃ツイートがかつてあったらしく、それを揶揄するような書き込みを見たことがある。(髙橋が男性とデートしていたことが事実かどうかはわからない)

また、羽生結弦のコーチや振付師や尊敬するジョニー・ウィアーがゲイだから、もしかしたら羽生も目覚めるんじゃないか、あるいはそうなんじゃないか、などとアンチが暗闇で騒いでいるのもずいぶん見かけた。

 

それに対してそれぞれのファンが「大ちゃんは違うよ!」「羽生くんは見た目はフェミニンなところがあるけど、中身は漢の中の漢だよ!」などと反撃しているのも見た。

 

「ゲイである可能性」をそれぞれのファンがまあまあ必死に「否定」している。

それはすなわち、その人たちの中にゲイ(LGBTQ+)への偏見や差別意識があるからに他ならないのではないか。

 

もちろんネットの片隅でそのように攻撃し合っている人々と、「そういうことを受け入れられる社会になればいいよね」と言っている人々が同一人物であるとは限らないが、

海の向こうの外国人がどんな性的嗜好であっても全く構わないが、やはり同じ日本人の羽生や髙橋がもしそうであったならそれは認めたくないのだろう。(認めたくないというか、そうであると世間に知られるのは嫌なのだろう)

実際にもし羽生や髙橋がカミングアウトしたならば、ガッカリする(恥ずかしいような、劣等感を抱くような)気持ちになるファンは多いような気がする。

 

「へー、そうなの?それもひとつの個性に過ぎないよね?別にいいじゃん。大騒ぎするようなことじゃないよ」とみんなが言える日はいつか来るのだろうか?

(少なくとも私が生きている間は、世の中はそんなに変わらないように思う。残念ながら)

 

 

 

町田アワードに寄せて。

先日、BSフジの『フィギュアスケートTV』で、“町田樹セレクション 全日本選手権大会スペシャルアワード2020”を発表していた。

これは『ワールド・フィギュアスケート№91』誌上ですでに発表されているものの、本人解説ということになる。

町田氏は「競技会を見ていると、この選手のここ美しいな、素晴らしいなと感じることがあるが、なぜ美しいのか、素晴らしいのかを、広く一般の方にも伝わるような言葉で説明したい。それが私の仕事」というようなことを語っていた。

 

かねてより町田氏の言葉のチョイスは「独特過ぎる。難解な言葉を選んで自分を賢く見せようとしている。だからかえって伝わりにくい」などと言われることが多いが、今回もまさにそうであったという声が多いように思う。

 

私は、そのこと自体はあまり気にならない。町田氏は研究者であり、学者、教育者であるので、高尚な場所に自分はいるんだという意識はあって当然であろう。しかも彼はまだ31歳という若さだ。自分を実際より大きく見せたい、虚勢を張りたい、そういう年代だと(自分の若かったころを振り返っても)思う。

 

「難解な言葉を使うから伝わらない、そこが問題なのだ」と言われれば、確かにそうだと思うが、きっと町田氏は「そういう人には伝わらなくてけっこう」とさえ思っているのではないだろうか?

スケーターの素晴らしさを「広く」「一般に」「説明したい」と口では言っているが、実際には「我々が携わっているフィギュアスケートは、こんなにも高尚で、複雑で、難解で、浮世離れしているのだ。そこいらの一般人などにそう簡単に理解など出来るはずがない」と思っているかもしれないと私は思っている。

(そもそもBSの番組やフィギュア雑誌を見るなんて、そこそこのスケオタしかいないと思う。一般人にはもともと届かないところで町田氏は語っている自覚はあるのだろうか?)

 

しかし、昨年もそうだったが、今年のこのアワードに関しても違和を感じたのは、町田氏がセレクトしたスケーターの半分くらいは(失礼な言い方であることをあらかじめお詫びしておくが)まだ無名の若手であること。

シーズン通していろんな競技会を見ているフィギュアファンでなければ知らないような(技術も表現もまだまだ未熟な)選手に対して「ものすごい美しいトリプルアクセルを跳んだ」「スケーティングの滑らかさが際立っていた」などと語っていた。

これらの解説と映像を見せられて一般人は「なるほど~」と思うのだろうか?

町田氏の目指す「難解で高尚な文化・フィギュアスケート」をしている選手たちがこんなにも素朴で(未熟で)いいのか?

 

スケーティング・マスター賞の三宅星南選手は男子フリーの中で唯一ステップがレベル4だったそうだが、町田氏は「これは凄いんですよ。スケーティングの技術もステップワークの技術も高い」と大絶賛していた。

いやいや町田氏、そこは「テクニカルはちゃんと演技を見て判定をしたのかな?」と疑念を抱くべきところなのではないのか?(三宅選手が上手くなっていることは私も多少は感じたが)

 

などなど突っ込み始めたらキリがないくらいの解説だったが、羽生ファンに一番不興を買っていたのは、羽生結弦がショートもフリーも新プログラムで、初披露で神演技をしたというのに、町田氏が「ピーキングに鳥肌が立った。五輪シーズンに得意なジャンルを持って来て意気込みを感じた」としか言わなかったことのようだ。

「もっとプログラムの内容に触れるべき。他の選手の演技とはレベルが違うのに“その他大勢のひとり”として済ませた。まっちーは嫉妬の塊り!拗らせ過ぎ!」と羽生ファンは大層おかんむりであった。

 

謎だったのは、宇野選手や鍵山選手、髙橋選手への言及が全くなかったことである。鍵山選手については昨年はさすがにブレークスルー賞を与えていたが、宇野、髙橋に関しては2年連続無視である。(裏事情が相当ややこしいのか?と逆に興味が湧く)

 

ひとつ面白かったのは、三浦・木原ペアの演技解説で、三浦選手が木原選手の股の下を通り、木原選手に抱きかかえられるムーブメントについて「お姫様抱っこって言うんですか?」などととぼけていたところだ。「僕はこんな言葉使ったこともないし、女性に対してこういう行為をしたこともないから知らないんだけど、俗世間ではお姫様だっことかって言うんですかね?」的な発言は微笑ましく感じて笑えてきた。

 

ただ、競技会でもアイスショーでもそうだが、町田氏の解説はあたたかい愛があるとは思う。ずっと光の当たらなかった選手、無名でまだ誰からも注目されていない選手、そういうスケーターにも賞賛の言葉を贈るなんてフィギュアスケートへの深い愛があればこそだろう。

 

そして近い将来、羽生結弦が引退したら、こうして町田氏の解説に突っ込む人間すらいなくなるかもしれない。

あの町田樹セレクションのアワードを見て「誰が残って行くのか。そして誰が見続けるのか」と本当に淋しい気持ちになった。

アイスショーの裏側(追記あり)

先日、CSでSOIの特別編を放送していた。

全スケーターの演技とインタビュー、舞台裏、練習風景など盛りだくさんで、3時間45分の長時間放送。

羽生結弦はショーのプロデューサー役である佐藤有香氏のアシスタント的立場を担い、(当然と思うが)破格の扱いだった。

羽生結弦の登場シーンだけを集めたWeiboの動画を見たが、約1時間あった。

今年のSOIはそれだけ羽生結弦の存在に頼ったものであったと思う。

 

私はこれまで折に触れ不思議に思っていたのだが、羽生結弦はなぜFaOI以外のアイスショーにほとんど出演しないのだろう?

存在が大きくなり過ぎて、DOIやPIWやTheIceのような元々小さな箱でやるショーには不向きなのだろうか?(『Shall We Dance?』の草刈民代のように「私はここでは踊れない」などと羽生は言わないだろうが)

それともシンプルに考えればソチ後に色濃くなった“共演NG問題”がずっと解消されないからだろうか?

ファン同士の諍いが悪化するのは目に見えているので、宇野昌磨や髙橋大輔などとは無理に共演する必要は確かにないのだろう。彼らからしたら主役を奪われるのも面白くないはずだ。

そして羽生結弦が現役選手である以上は、メインは試合に出ることであり、アイスショーはオフの余興なので、本当に出たいショーだけに絞っているのだろうとも思う。

 

かつてカメラマンの田中宣明氏の講座に参加した際、田中氏は「ゆづにはもっとDOIとかに出て若手の手本になって欲しい」と言っていた。

その言葉に賛同しているファンも多い。

日本フィギュア界の次世代のためには、羽生結弦はもっと若いスケーターと同じ空間で滑る機会を持つべきだとファンでなくとも、スケ連や主催者などの大人たちに普通の神経があるなら考えることだろうという意見も目にする。

(もし“共演NG”が理由なら、そして若い子たちの育成を真剣に考えるならば、遠慮するのは羽生ではなく他のスケーターたちの方だ、などと言ったら乱暴すぎるだろうか)

 

しかし現実問題、今の羽生のようなビッグスターはなかなか無名の若いスケーターと一緒に滑ることは難しいように思う。

そして競技で最高のパフォーマンスを目指すならアイスショーにばかり出てもいられないというのが羽生の本音かもしれないとも思ってしまう。

 

そしてこうも思う。

以前、『奇跡のレッスン』というNHKの番組にシェイやハビが出演した時に感じたことだが、日本の子供たちは本当におとなしい。相手が外国人ということもあるだろうが、挨拶も返事もまともに出来ないくらい固まってしまっていて、スケートの表現どころではないレベルだった。

ああいう普通の子たちがフィギュアスケートを習っていて、その中でちょっとジャンプが上手いというだけで地方大会から全日本へと勝ち上がって行けてしまう現実を考えると、何度か羽生結弦と一緒にアイスショーエキシビションに出るチャンスがあったとしても、それほどプロ意識が芽生えたり、観客を魅了するにはどうすればいいのかに目覚めたりは簡単には行かないだろうなと思うのだ。

 

羽生結弦という存在は本当に大きくなり過ぎて扱いにくいのかもしれない(素朴な日本の子供たちには劇薬という意味で)。

 

また、今回のSOI特別版の放送時、Twitterで『友野グダグダ』がトレンド入りしていた。横浜公演の最終日に円陣を組んで掛け声をする役目を羽生から任された友野が、突然のことで戸惑いぎこちない発声をしていたことを、羽生が「やばい、Twitterで書かれちゃう。友野グダグダで草ww」と言って笑っていたのがネタ元である。

番組では「羽生は場を和ませた」と温かい編集をしていたし、実際みんな笑顔だったので楽しい舞台裏だったのだろう。

一部アンチや他の選手のファンからは「友野くんが一生懸命掛け声をしようとしていたのに、羽生くんが結局横取りするような締め方をしてめっちゃ失礼!それを友野くんは“次回は任せてください”って大人の対応してて偉いね!」などと文句を言っていた。

私もはじめは、たぶん友野は「準備はいいですか?オー!」まで言いたかっただろうから、それを遮って勝手に「行くぜ!オェーイ!」とやってしまった羽生はマイペース過ぎると感じたが、羽生はわりと先輩にさえドSな発言が多いことを考えたら友野も「まあいつもの羽生くんだね」とすんなり受け入れていたのではないかと思う。

織田信成には2016年のGPFのとき、松岡修造氏も同席していたインタビューで「(今の試合の緊張感は)信成くんだったら毎回泣いちゃうかもね」などといじっていたし、無良崇人にもCiONTUでアクセルを何度も跳ばせていた。

きっと友野がジュニアの頃から試合やアイスショーで一緒になる機会があった羽生は、彼のことを気心の知れた仲間として常に対応しているはずだ。今回も問題のないいじり方だったのではないかと思う(羽生は波長の合う相手を見誤らないと思うので)。

確かに「だから友野くんはいじってもらえて、トレンド入りまでして喜んでいるはず」などと決めつけられるものではないが、アンチの被害妄想も放っておけばいいと思う。

(時に苦しいファンの擁護も、アンチの捻じ曲がった中傷も、所詮は部外者の戯言だ)

 

7月には羽生はDOIにも出演することが発表された。

今年は本当に特別である。

コロナ禍がまだしばらくは続くと思うので、いろいろ難しいこともたくさんあるだろうが、その中でもスケーター達に有意義な時間がたくさんあればいいと願う。

 

 

【追記】

“グダグダ”という言葉自体は、どこか人を嘲笑っている響きがあると私は感じるので好きではないが、国別対抗戦の表彰式の際、メダルや花束の扱いに戸惑っている選手たちを見て「グダグダだったww」「可愛かったww」「面白かったww」と多くのファンが草を生やしていたので、ファンのSNSに敏感な羽生結弦は「グダグダ」という言葉をポジティブに使ったのだろうと私は思っている。羽生に友野を嘲笑う意図は微塵もなかったに違いない。