あなたに飼われる猫になりたい

大きな声では言えない日常の本音を書きたいと思います。

コロナが終わったら・・・。

新型コロナウィルスのあれこれがこの世から消えたら、

私はロンドンに行きたい。

パリにも行きたい。

そしてニューヨークにも。

 

それぞれ1ヵ月ずつくらい滞在したい。

 

ロンドンとパリには若い頃少しだけ住んだことがあるので、

とても愛着がある。

 

イギリスの暗くミゼラブルな気候、

独特な硬い水でいれた美味しい紅茶、

レンガ造りの茶色い家並み、

つまみになる料理のほとんどないパブ、

どれも懐かしい。

 

パリに関しては、

私は世界で一番美しい街だと思っている。

(って言っても世界中を旅したわけじゃないけど)

けれど建物も、公園も、人々の暮らしぶりも、

とにかくオシャレ(に見える)。

ただし、パリジャン、パリジェンヌはとことん意地悪だ。

と、アジア人の私は思っている。

それでもまたパリに住んでみたい。

 

ニューヨークは24年前に数日滞在しただけ。

あまり強い思い出のない場所。

だからこそかえってもう一度行ってみたいと思う。

今のアメリカ、ニューヨークはどんな街なのか、

この目で見て来たい。

 

姉に話したら「好きな国に移住したらいいのに」と言った。

それはさすがに怖い。

たぶんコロナが落ち着く頃、私は還暦近くなっている。

そんな年寄りになってから海外移住なんて認知症にでもなったらどうするのか?

言葉は勉強すればある程度なんとかなると思うが、

医療制度や法律や死亡した時のあれこれが不安しかない。

 

まずは世界の平和を願って。

そして私が健康なうちにこの夢が実現することを願う。

 

猫にイラッとする時。

私は猫を一匹飼っている。

(一緒に暮らしてもらっているとも言う)

 

現在8歳。

メス。

夫が溺愛した結果、とても太っている。

そして、実際とても可愛い。

 

その猫が、私が夜寝るために電気を消すとすぐトイレに行き、

大便をするので私は毎晩イラッとしてしまう。

 

眠くなって、布団に入り、電気を消す。

私は寝つきが悪いので、すぐに眠りに落ちるということはないが、

だからこそ「さあ、寝るぞ」と思っている状態のときに、

廊下からあの独特の臭いが漂ってくるとたまらないのだ。

 

どんなに可愛いお猫様でも、やはりウンコは臭い。

(どんなに可愛いアイドルでもウンコが臭いのと同様に)

 

せっかく寝ようと布団に入り、体勢を整えたところにそういう臭いが漂ってくると、

気になって気になって、眠るどころではなくなる。

 

しかたないから布団から出て、猫トイレを片付ける。

それが毎晩なのだ。

 

いや確かに猫も、

部屋が暗くなって飼い主が寝静まるであろう状態の方が、

心置きなく排便ができるのだろう。

それは十分理解できる。

あんな無防備な行為を人には見られたくないだろうし。

 

しかし、こちらは毎晩寝ようとした途端、

最後の仕事が追加されるのだ。

キツイ。

 

それ以外は全てが愛しい存在。

それが猫。

 

 

 

東京オリンピックのアイコン

最近、東京オリンピックのネットニュースには、たいてい森喜朗会長の顔写真が添えられている。

橋本聖子氏の写真が使われることも多い。

 

私は東京に限らず、オリンピックには元々ネガティブな感情は持っていなかったが、残念ながら東京五輪を巡っては、彼らの失言とも取れる発言が目につき、彼らの顔写真を見るたびに、「あぁ、オリンピックってなんて金と欲にまみれた醜いイベントなんだろう」という感情が込み上げて来るようになってしまった。

 

オリンピックのような世界的な大イベントが、金と欲抜きで開催出来るなんてもちろん思っていなかったが、このコロナ禍においても、人命より一部の人たちの経済的な事情や政治力を優先させて物事が進められていく様を見せられ続けて、もう本当にうんざりしてしまっているのだ。

 

楽しいはずのスポーツイベント、アスリートたちが人生丸ごと命を懸けて目指して来た感動の瞬間を、欲の皮の突っ張った大人たちが台無しにしている気がしてならない。

 

実際のところ、コロナがもう少し落ち着かなければ予定通りの開催は無理だろう。

それでも森喜朗氏や橋本聖子氏やその他の政治家たち、大人たちが、もっとまともに誠実に考えて決定・発言をしているように見せてくれていれば、もう少し寄り添った気持ちになれたのに。

 

森氏の死相の浮かんだ青白い顔を見るたび、「東京五輪、やな大会になってしまったな」という暗い気持ちになる。(森さん、健康状態は大丈夫なのかしら?あまりに顔色が悪くて心配になるわ)

 

 

余談だが、以前とても苦手な知人女性がミスチルが大好きだと言っているのを聞いて以来、桜井和寿氏のことまで嫌いになってしまった。(いい歌を歌っているのに)

 

自分の推しの顔写真をアイコンにして、他の選手の悪口をネットの中で撒き散らしている浅田ファンや髙橋ファンもいる。私が真央ちゃんや大ちゃんをちょっとだけ苦手になってしまったのも、そういうのが影響しているように思う。

 

アイコン大事。

他の人に負の感情を抱かせないように、私も気を付けよう。

相続や贈与では減らない財産。

ここ数年、父からの相続のことでいろいろ専門家と話す機会が多い。

税金の本を読んだり、ネットで情報を漁ったりもしている。

 

現時点で私が理解したことは、

「財産は出来るだけ減らさないように次世代へ引き継ぐべき」

と誰もが思っているらしいこと。

 

それにはなるべく早い段階から節税対策をして、上手に最小の税金で済むように工夫をする必要がある、ということがわかってきた。

 

 

ある日、姉が言った。

「親の財産を子や孫が相続するのは当たり前の話で、なんで国が横から多額の税金を取って行くのよ!親が汗水垂らして働いて稼いだお金を、なんで他人が持ってくの!?」

 

・・・だいぶおかんむりであった。

(私も姉の気持ちはわかるが、法律で決められてるんだから何を言ってもしょうがないと思っている)

 

相続税とか贈与税とか、他人の財産からなぜ国は横取りのようなことをするのか?

 

答えは、

「財産の再分配」

をするため、とからしい・・・(はっきりとは知らない)。

 

大富豪が大金を子孫にそのまま引き継がせていくと、

貧富の差がいつまでたっても縮まらない、

すなわち大金持ちはずっと大金持ちで、

貧乏人はずっと貧乏人というバランスの悪さが未来永劫続くのがまずいということなのだろう。

(知らんがな!と姉は言うだろうが、それで戦争でも起こったらたまったもんじゃない、と法律家などが考え出した苦肉の策?だったのだろうか?)

 

お金や宝石や不動産や株券は税金で取られて少しずつ減って行く。

 

けれど減らない財産もあるのではないか?

と私は最近になってやっと気付いた。

 

それは、

親からの愛情や教養や知識、

人間としての道徳観、倫理観、

豊かな心で生きて行く知恵や人との付き合い方・・・など。

 

大切なことはお金以外にたくさんあるのだと思う。

そういうことなら何代にも渡って“満額”を引き継いでいける。

 

などと言ったら単なる綺麗ごとに聞こえるかもしれないが、

お金を巡っての争い事が絶えない世の中を見ていると、

本当に相続すべき財産ってそういうことなんだろうなと思う。

 

 

日本は老人の方がユルいように感じる。

私はあまり外出もしないし、

仕事もしていないのでたくさんの人に会うこともないが、

私がこの一年で感じたのは、

日本においては、

若者より老人の方がコロナ感染対策にユルいような気がする。

 

 

若者は、

「大人に叱られないように」

「目上の人に失礼のないように」

「高齢者に感染させないように」

と、とても気を遣ってマスクもちゃんとしているし、

手洗い・消毒も頑張って続けているように見える。

(もちろんそうじゃない若者もいるが)

 

一方、年齢の高い人々は、

「今までやってきたことだから」と言って集会をやめないとか、

「息が苦しいから」と言ってマスクを鼻の下までさげているとか、

「よく聞こえないから」と言ってレジの透明シートをめくって喋りかけてくるとか、

いろいろ無頓着な状況を目にする。

 

特に中高年の人々は、その場に自分より年齢の低い人がいる場面でユルくなるように思う。

(逆に若者は自分たちより年上の人の前では本当にお行儀がいい)

 

実家で母の月命日に来て下さるお寺さんは、

(私たちよりずいぶん若い世代)

お経をあげるときと、お茶を口に含むとき以外はずっとマスクをしていた。

私たちの方がなんとなくマスクは邪魔な感じがして付けたり外したり、

自分の家の中だからか緊張感が保てていない。

 

神社の氏子をしている夫は、

「年末の御札の注文取りは今年はやめよう」と提案したのに、

「ずっと各家庭を訪問してやって来たのだから今年もそれでいい」と総代さんに言われ返す言葉がなかったと言う。

夫もすでに高齢者に近い年齢ではあるが、

それでもより年齢の高い人のこの無神経さには驚いていた。

そして村の長老の言うことには誰も逆らえない。

 

 

欧米では夜間の外出禁止に反発してデモをしたり、

パーティをしたり、検査施設に放火したり、若者はめちゃくちゃだ。

尾崎豊的反抗心?)

 

日本の若者はある面ではおとなし過ぎて心配になるが、

概ね規律正しいし、礼儀正しいし、素直で従順。

きっとコロナを抑え込むことができ、

海外で起きている悲惨な戦闘状態のようなことに、

我々中高年を巻き込むこともないだろう。

(と期待している)

 

なんか泣けてきた。

フィギュアスケート通信DX』という雑誌がある。

ファンの間では『羽生通信』と呼ばれているほどの羽生オンリーの雑誌である。

出版社はメディアックス

 

このメディアックスさんが、このたび謝罪文を自社ブログ(?)に掲載した。

 

先日、『フィギュアスケート通信DX』の“全日本選手権2020 最速特集号”が発売されたが、その72~73ページの写真がどうやら羽生選手のお姿が真ん中で切れてしまうような仕上がりになっていたらしい。

 

多くの羽生ファンがその酷い仕上がりに対して、

 

「残念」

「なぜこんなことに?」

「悪意を感じる」

「もう買わない」

 

などと言っているのを私もネットでいくつか見かけた。

 

それを受けとめての謝罪文なのだろう。

メディアックスさんは真摯に反省されて、今後このようなことが二度とないように細心の注意を払っていくと仰っている。

 

私はこの文章を読んで、なぜだか涙が込み上げてきた。

出版社の中の人の誠実さが伝わって来たというのもあるし、これを読んだ羽生ファンが「ありがとう!これからも買うよ!」と言っているのを見てホッとしたというのもあるけれど、

やはり、なんというか、こういうネットの中で人と人の心がぶつかり合ったり、傷つけ合ったり、紆余曲折を経てやっと通じ合ったり、そういうことを見聞きする日常に私自身の神経がすり減っているのだと思う。

 

羽生選手自身が、ネットの中のファンやアンチの言ってることをどこかで見ているのは確かなのだ。

2018年のCiONTUで羽生選手は「僕も見てるよ」と言ったのだから。

それで彼がネットの中のあれこれをどう感じているのかは知らないが、嬉しい事ばかりではないのは確かだろうと私は思っている。

 

羽生ファンだけでなく、他の選手のファン(浅田ファン、髙橋ファン、宇野ファンなど)はTwitterやブログや5chでけっこう好き放題言っている。

他の選手の悪口を。

ジャッジへの批判を。

ISUやJSFへの要望を。

 

完全なる部外者のいちファンが何を偉そうにわかったようなことを言っているのだ?と思うような発言もかなりある。

どこまでが“表現の自由”として許される発言なのだろうと疑問に思うほどのことを毎日目にする。

 

スケートが好きで、良い演技がしたくて、試合で勝ちたくて、純粋に練習に励んでいる選手たちはそれを見てどう感じているのだろう?

 

「あのジャッジの採点はおかしい」

「羽生くんの演技に比べたら、ネイサンは助走とジャンプ以外何もしてない」

「技術と芸術の融合とは羽生選手のスケートのことだ」

「○○選手はスタイルが・・・」

「○○選手の点数はいつも爆盛りで」

「○○選手は羽生選手をお手本としているからやはり見込みがあるね」

 

などなど、それらを見た羽生選手はどう思うのか。

他の選手たちはどう思うのか。

 

羽生選手はそれが原因で孤独を感じていることはないのだろうか。

 

海外でも「ハニュウに近付くとなんか言われるから触りたくない」とか思われていないだろうか。

 

そんなことを私が思うこと自体迷惑な話なのかもしれないが。

 

 

けれど今日は、雑誌編集者がファンへ謝罪している文字を目にして、涙が出てしまった。

人気芸能人を受け付けない年頃になってしまった。

最近、りんごちゃんという芸人をテレビで見かけなくなった。

フワちゃんが出て来たから、消えたのだろうか?

 

りんごちゃんもそうだったが、フワちゃんも突然出て来た印象のある芸能人だ。

 

私が普段あまり地上波を見ないせいもあるのかもしれないが、彼ら(彼女ら)を最初に見た時の私の感想は、

「私は全く知らないが、どこかで知らないうちにとてつもなく人気者になっていて、こうして地上波に毎日出るほどの存在になった人」なんだなーという感じだった。

 

NiziUという女性アイドルグループもそれに近い印象だし、純烈とか生見愛瑠(めるる)さんなども突然現れたように感じた。

 

あと、だいぶ古い話になるが、はるな愛さんが出て来た時や、坂上忍さんや有吉弘行さんが長い潜伏期間を経てテレビ界に戻って来た時も「あぁ、どこかでは人気があって、需要があるからこうしてテレビに出ているのね」と若干の違和感を覚えつつも、それは私が知らないだけで、どこかではとてつもない人気があるのだろうと思っている。

(けれど、大概それはテレビ界が作った都合のよいシナリオなんだろうこともわかっている)

 

私は、こういうどこかでとてつもない人気があるかもしれない芸能人を、今は受け付けない体になってしまった。

 

たぶんそれは私が年寄りになったからだろう。

若い子の感性とはもう何も接点がないからなのだと思うしかない。

 

ジャニーズなどの麗しいお顔の男性を見ても、連ドラの主演をするような若手俳優を見ても、もう気持ち悪くさえなる。

 

これが更年期というものか、と愕然とする。

 

 

りんごちゃんが消えたように、フワちゃんもいずれ消えて行くだろう。

SMAPや嵐が形をなくしたように、SixTONESもいずれどうにかなるだろう。

 

けれど私が年を取って行く一方である以上、どんな新人が出て来ても、たとえそれがどこかではとてつもない人気を博している人々であっても、もう私には受け入れられないのかと思うとしんどくなる。